近況と今後について

すごく久しぶりのブログになりました。
ブログを書いていなかった間、安定した仕事に就くことが出来、文章を書くということを実は忘れていました。それから早2年経ち、このままではよくないと思い、仕事をやめました。そして、仕事をやっているときから少しだけ書いていたtumblrでいまは主に文章を書いています。
文章を書くことやエンタメ系の仕事に就きたいという夢を叶えるため、専用のTwitterもはじめました。

そしていまだに後藤まりこさんに関する記事に定評があるのは自分でもびっくりしてまして…、あの頃とは心境も大分変わったのですが、音楽や自意識における問題の原点である記事だと思うので、嬉しいやら恥ずかしいやら。

もうここに来ることはあまりないと思うので、tumblrTwitterを貼っておきます。
古い記事にもかかわらず関心を持って読んでくださりありがとうございました。新しい地でもよろしくお願いします。

http://mementomo-ri.tumblr.com/
http://twitter.com/mementomo_ri/

かぐや姫の物語

かぐや姫の物語』で哀しいなぁ、と思ったのは翁や相模は高貴な姫になることこそが姫の幸せだと心から思っていたこと。翁は自分の地位のためではなくいつだって姫を想っての行動だった。

だからこそ姫も翁を裏切ることが出来ずに宙ぶらりんのまま高貴な姫を演じていた。だからこその悲劇。

今も昔も良家(お金持ち)と結婚することが女の幸せ、って価値観ないわけではないし。絶世の美女ではない私は姫のような扱いを受けてのうのうと暮らす生活に憧れがないわけじゃない。でも姫は山で質素に暮らすのを望んでいた。結局はないものねだりなのかもしれないな。…ないわけじゃない、言い過ぎ。


実はブログをもう一つ作りました。もう一度後藤まりこの件についてきちんと、論理的にまとめたいと思ったからです。他にもまとめたい事柄はあるのですが…。
ここではメモがてら、論理的に書く前に感情的に、衝動のままに書けたらなと思います。それこそ後藤まりこの記事もそんな感じだし…。

後藤まりこになれない女たち

初めに、後藤まりこが好きだという人はこの記事を読まないほうがいいかと思われます。私は後藤まりこが嫌いです。
私は後藤まりこのように振る舞うことが出来ません、生きることが出来ません。だから嫌いなのだと思います。なにを当たり前のことを、って話だと思うのですがこのテーマは私の自意識に関する永遠のテーマなのではないかと思います。
私は後藤まりこの、かわいらしい容姿を持ちながら(きっとそれを自覚しながら)自由奔放な、エキセントリックな行動が妙に癇に障ります。後藤まりこの振る舞いが、「かわいいのにこんなことしちゃうぼく」にしか見えなくて。それなのに「これがぼくの素やけど」という後藤まりこの態度に、あざとさしか感じないのです。ぼくっ子なのもすべて計算としか思えません。

私は下北系サブカル女子に憧れている節があります。売れないバンドマンの彼氏に貢いで結局捨てられるような女に一度でいいからなってみたい、クリープハイプの曲に出てくるような女になりたい、と思っているのです。
そういうサブカル属性の人って後藤まりこ好きなことが多い気がするんですよね。少なくとも、後藤まりこdisを理解してくれたのはツイッターで知り合った友人の仲で一番よく遊ぶ子ただ一人です。しかしフォロワ―には何人も、後藤まりこをまりこ様と呼ぶほどのファンがいるのも現状です。私は下北系サブカル女子になりたい、でも後藤まりこがどうしても許せないというしがらみにいるのです。

下北系サブカル女子になりたいとはいえ、人からサブカル女子だとか言われるのは嫌という天邪鬼さもあり、実際サブカル女子を気取ってみたところで「こんな風に自分を演じるの無理!」ってなっているのが状態です。
結構私自身がミーハーで、ジャニオタだったときもあれば今もAKBがなんだかんだ好きだったりして"サブ"カルチャーにつかりきれてないんですよね。AKBは好きだけど、サブカル御用達アイドルのでんぱ組incとか全然知らないし。サブカルの一角であろう岩井俊二に傾倒したこともあるし、園子温とかもとりあえず見てはいるけど。結局サブカルの一部しかつっついてないんですよね。(ロキノン系を聞き始めてたときはテレビに出ないマイナーな音楽聞いてる私は周りと違うサブカル系とか勘違いもしていましたが今やロキノン系を聞いてるだけでサブカルと名乗れやしないと思っています。ロキノン系とサブカル問題はまた別の記事で書きたい。)
私はバンドマンやサブカル男子(バンプ藤原基央星野源みたいな人)が大好きなのですが、でも自分はそういうわけでなりきれないんですよね。でもカップルって大体同じ服のジャンルでくっつくじゃないですか、そうなると私がバンドマン・サブカル男子に好かれるには私もサブカル女子に…でも、っていう。

つまり私がサブカル女になりたいのは広く言えば性的欲求というか、私がそういう男が好きだからそれにふさわしいキャラや見た目の女になりたかったからなんですね。それの代表が、後藤まりこ
下北によくいるサブカル女が実際後藤まりこのようにエキセントリックじゃないのは百も承知です、でもそういうサブカル女って後藤まりこのことをそれこそまりこ様とか呼んでそう。で、バンドマンやサブカル男は同じ趣味のそういう女が好きになりそうっていう。だから私は後藤まりこが嫌いです。

後藤まりこ問題、ロキノン系とサブカル問題にも引き継がれそうなのでまた次回、多分。とりあえず明日放送のタモリ倶楽部後藤まりこがゲスト)をちょっと見てみようかなと思います。

Base Ball Bearについて

先日Base Ball Bearのライブ、日比谷ノンフィクション3に行ってきました。
高校生の時から唯一ライブに通い続けているのがベボべだったのですが昨年ライブ中に倒れてしまい、それからというものあまり本調子で楽しめなかったこのバンド。そのため4月まで行われていたツアーにも行かなかったのですが(ベボべのツアーに行かなかったのは高校の卒業式の日と被ったとき以来)、野音だったら指定だし楽しめるのではないかなと久々に行ってきました。
本編についてはニコ生されてたので割愛しますが(そもそも指定席のチケットが取れず、立ち見で見ていたのであまり見えなかった)、アンコール1曲目でこいちゃんが「野音でおなじみのこの曲を」と言って始めた『HIGH COLOR TIMES』に何とも言えぬ感動を覚えたのです。

Base Ball Bearって、あまり聞かない人には夏だとか「中高生から支持され思春期特有の虚無感を歌っているバンド」というイメージがあると思うのです。確かにそういう一面もあると思います。でも実はベボべってものすごく曲のふり幅も、歌詞の幅も広いんですよね。
例えばさっき感動したと書いた『HIGH COLOR TIMES』これはインディーズのときに出した1stフルアルバムのタイトル曲です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9577475
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=E08013 (歌詞)
イカラはベボべの中でも1位2位を争うほど、個人的に好きな曲です。でもベボべの曲だったらもっと、それこそ思春期特有の虚無感に共感するような曲がたくさんあるのです。その中でもなぜこのハイカラが好きなのだろうかと…、話がそれた。
さきほど、ベボべは曲も歌詞の幅も広いと書きました。ハイカラはその中でも(以下あくまでも私の見解です)意味のない言葉の羅列がなされてる曲だと思うのです。でもその意味のない言葉の羅列が、この曲をとてもなじみがいいものにさせてくれてると思うんですね。聞いててつっかえないというか、上手く言えないんだけど。
ちなみにハイカラは、サビに向かってだんだんと盛り上がり、そしてサビでパンっとはじけるところがたまらなく好きです。野音で聞いたとき、なんともいえぬ感動を覚えた理由は演出にあります。ベボべのライブって曲にアレンジが施されてることが多くて、照明もそれに合わせた演出をしているんですね。でもハイカラではCD通りの演奏に、照明もただあてるだけの演出で…それがぐっときたといいますか。ベボべ的になのか、こいちゃん的になのかはわかりませんが彼らにとっても特別な曲なのかなと思って。

あとは…例えばシングル曲だと『LOVE MATHMATICS』やサカナクションの山口一郎氏とコラボした『kimino-me』


この辺の曲を聞いてると、大人の真剣な遊びといいますか、そんな感じに聞こえるんですよね。

ベボべは夏だけじゃない!思春期の虚無感を歌ってるだけのバンドじゃない!と紹介したかった。

モテキの登場で救われた人も多いはず

前の記事の「本当の〜」というセリフを言ったバイト仲間、わりと最近入ってきた人なのですがその人と仲良くなったきっかけが漫画の話をしていて、お互い『モテキ』が好きという共通点から仲良くなり恋バナのようなつっこんだ話までするようになりました。我ながらサブカルクソ臭半端ないなと思います(笑)、(笑)とか使っちゃうくらいには。
モテキに共感する人が多いとネットではたくさん見かけましたし、私もモテキの主人公フジに共感してた人の一人なのですが、実際フジに共感したという人にリアルで会ったのは初めてでした。
でも話を聞いてると…お前普通に彼女いたことあんじゃねーか!彼女いない歴=年齢じゃねーじゃねーか!とちょっと裏切られたりもしつつ、私も私でいつから彼氏いないの?という質問に対して「2年くらいかな…(発展しそうでしなかった人が最後にいたのが、だけど)」とかしょーもない見栄はっちゃったんだけど。プラス何人と付き合った?っていう質問にも「2人かな(アレした人が、だけど)」なーんてまたどうしようもない見栄をな…張ってしまったんだけど……うぇぇ嘘つくとダメージが自分に来るよ☆2人かなって言った瞬間「年齢の割に少ないね」って返されたよ☆=年齢なんてさらに言えなくなったね!

そんなバイトくんとも、唯一わかりあえたのがモテキに共感する人には大体小宮山夏樹的存在がいる、ということです。小宮山夏樹とは、主人公フジの初恋的な相手なのですが本性は誰とでもセックスする小悪魔的な、フジを振り回す美女なんだけど。
私の場合それが、前回書いた玉砕した彼なんだけど、初めてちゃんと異性と向き合ったのがその人なもんだから異性に対するさまざまな基準っていうのが彼になっちゃってるんだよね。メールの頻度だったり、初回のデートでどこまで手を出してくるか…とかそういうのが。バイトくんも、初めて付き合った人が基準になっちゃってさ〜という話をしました。てめーは付き合えてるだけry

「本当の恋愛をすれば変わるよ」

一度は辞めたのですが学生時代から勤めているコンビニのバイト仲間と恋バナをしていて、こちらの経験を話せる限り、笑い話にできる程度に、自虐って話していたら「本当の恋をすれば変わるよ」と言われました。実は同じコンビニで、もう辞めてしまった人なのですが同じことを言ってきた人がいました。3年ほど前の話です。
3年前、こう言われて「本当って何?あなた方のして恋愛はそんなに崇高なものなの?」と内心反発していました。正直今でも思っているあたり、私の恋愛に対しての感情は成長していないなとは思います。それに20過ぎてまともなお付き合いを出来てないあたり何か致命的な欠陥があるのだろうな、とも。

本当の恋愛ってなんでしょう?今考えると私が恋愛というものに振り回され、きちんと向き合ったのは高校時代だったと思います。その人のことが忘れられず、大学に入ってからも引きずっていました。大学に入ってから一度彼と再会してしまったのも引きずってしまったのも原因なのだと思いますが。
確かに彼とお付き合いをすることはありませんでした、酔った勢いとはいえ告白もしましたが見事に玉砕しました。これは本当の恋愛ではないのでしょうか?私の彼に対する想いすらも否定されてしまったようで、お前ら何も知らないくせに本当の恋愛が云々とか説教すんじゃねぇ!って思ってしまうのです。知らないも何も、話してないんですけどね…

れん―あい【恋愛】
[名](スル)特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、男女が互いにそのような感情をもつこと。「熱烈に―する」「社内―」

だそうです。そう考えると、前半の部分はクリアできてるわけですよね。でも、後半はまだ出来ていない。そういう意味では「本当の」恋愛をしていないのかもしれない…と少し文を書きながら冷静になりました。
彼に対する想いは偽物ではありません。今だからこそ苦い初恋だったと振り返ることもできます。「本当の〜」というセリフは、恋愛という辞書の意味の後半にあたいすることがいい年して出来ていないというコンプレックスを指摘されたようでカチンときてしまったのかもしれないです。

恋愛経験の少なさ

見栄はってついた付き合った人数「2人」という嘘に年齢の割に少ないねと言われてしまった=年齢の私ですが、自分でも恋愛に対する考えが浅はかで幼いなというのはここ最近すごく痛感しています。
というのも、いろいろ考えてみたのですが兄弟に男兄弟がいるかどうかってとても重要だなと思ったのです。私は女2人姉妹でしたし、性格も引っ込み思案だったので小学校高学年になればなるほど、異性の友人もいなくなり中学高校では共学でもまるっきり男子と話をしませんでした。(中学で腐女子になって気持ち悪がられてたのもあると思う)でも異性の兄弟がいる人って、中学になっても男女関係なく分け隔てなく接してる人が多いなと思ったのです。もちろんそうじゃなく仲良くしてる人もいたけど。
そう考えると、同世代の男の子と、普通に接したのが大学に入ってアルバイトを始めてからだなって気づいて。(初恋の彼とは高校の時であったけど、今考えるとその人としか接しなかった)普通の人が中学や高校で異性と普通に仲良くするのを、私は大学に入ってから経験したわけで。そう考えると恋愛や異性に対しての考えが幼稚なのは私の精神レベルがまだ高校生くらいだからなのかなって。
年の近い異性の兄弟もいなければ、はじめて普通に同世代の異性と接したのが大学はいってから…となると、私は中高の空白期間に異性というものに対して期待しすぎてたのだと思います。だからこそ、今では初恋の相手にも言葉には出さずとも負担に思われていたのかなって。